水浸しの春
泊まりにきても共に入浴することは滅多にない。
海馬が帰宅する頃には遊戯は夕飯も入浴も済ませていたり、その前に行き会うことがあってもそういう行為に及ぶことも多く、シャワーになる。
海馬はというと時間が惜しいのかシャワーが多いようだった。
遊戯は大きな湯船の中から身体を洗う海馬をぼんやり眺めていると、浴室にボディーソープの香りが広がる。
しかし、どんなことをしても様になる男だと思う。
(もう一人のボクも何してもカッコイイよね)
水もしたたるいい男というのはこういうことかと納得した。
陶磁器と思しき容器に入ったボディーソープは花の香りだ。
これがきつすぎず甘すぎない、控えめで上品な花の香り……化粧や香水の香りが苦手な遊戯も好きだった。
銘柄もわからないし何の花かもわからない。海馬邸にあるぐらいでそれなりに良い値段だろうが。
視線に気づいたようで、身体を洗いながら海馬がこちらを見る。
「なんだ」
「そのボディーソープ、いい香りだよね」
「ほう」
目を丸くしながら海馬は泡だらけの身体を流すと、湯船に入ってくる。
掛け流しで常にお湯が浴槽いっぱいにある為、勢いよく床へ流れだした
一般家庭とは違い大人が3人足を伸ばして入っても余裕がある浴槽なのに互いに向かい合う形になり、海馬が遊戯の頬に触れる。
「ホワイトローズの香りだな」
「ローズ――薔薇かぁ……。キツい臭いって印象だったけど、変わったぜー」
「ならば、一本くれてやる。家でも使え」
やっかいな繊細
まだ雨が続き梅雨空けが待ち遠しい7月上旬、モクバの誕生日会に遊戯も招待されていた。
招待されたのは主に学校の友達たちで小学生らしい元気の良い声が海馬邸に響き渡る。
遊戯は遠巻きにモクバの姿を見ていた。
後ろから<遊戯>が
「混ざらなくていいのか?」
と、声をかけてきたが、遊戯は「今日の主役はモクバくんだからね」と返したら、<遊戯>は優しそうに微笑む。
<遊戯>もこの賑やかな雰囲気がまんざらでもないらしい。
屋敷の出入口が騒がしいと思ったら、家の主が帰宅したようだ。
「兄サマ!おかえりなさい!」
同級生も「モクバの兄貴だ」とか「海馬様だ」と言って、彼の影響力と存在感を改めて感じる。
「海馬くん、おかえりなさい。お邪魔してます」
「ああ」
遊戯は立って頭を上げ挨拶はしたが、素っ気ない返事で海馬らしい。
「ねぇねぇ、何かゲームしてみせて!」
ぞろぞろやってきた小学生に囲まれている姿を見て、遊戯達は目を丸くした。
海馬はというと冷静の顔を崩さないがしどろもどろで――それがおかしくて、遊戯は口元に手を当てて笑うのを抑える。
それと同時に斜め後ろからも変な笑い声が聞こえ、<遊戯>も同じことを感じたのだと思った。
「もう一人のボク、笑っちゃダメだよ」
「相棒だって笑ってるじゃないか」
少し経って呼吸が整って口元が緩まないように意識して顔を上げると何故か視線を感じた。
モクバも、海馬を囲んでいた子ども達も、海馬もこちらをジッと見て……。
「遊戯」
「な――なに?」
いつもよりずっと低い声色――口は笑っているのに目元は笑っていない。
ビシッ!!
人差し指で射抜きそうなほどに遊戯の顔を指す。
「ゲームのリクエストをされたのでな、対戦相手は貴様だ!この屈辱、3乗にして返してやる!」
「え?!ボク!!」
「海馬は相棒をご指名だぜ。頑張れよ!」と、聞こえたので「ちょっと、もう一人のボク!!」と言いながら振り返ったら、既にパズルの中に戻っていた。
歯を見せながら笑う姿は交流が浅かった頃の海馬にどことなく似ていて怖い。
前髪の影から見える青色の瞳にドキリとしながら遊戯は頭を悩ませた。
てを、
ドームが崩壊し、一大事件として報道されて早一週間が経った。
あの後、海馬とは顔を合わせていない。
腕の具合は気になるものの、あの苦虫を噛み潰したような顔を思い出すと一歩踏み出せない。
(振り払われちゃったし)
それもそのはず、あの時の海馬は珍しく錯乱していた。
神を越える為の――自身の栄光へのロードを勝ち取るはずのデュエルが、結果的に利用されたのだ。
担任教師から「プリントを届けて欲しい」と言われた時は今回は断ろうと思ったが、きっかけがないと何時まで経ても一歩踏み出せないと思い、今回も承諾した。 怪我をしたとは言え、屋敷にいるとは限らない。
会わなくて済むかもしれない……少しでも話せたら……そんな気持ちで海馬邸へ向かう。
案の定海馬は屋敷にいた。
怪我でもしないとまとまった休みは取らなそうだし、モクバがお願いという形で無理やり屋敷で療養していると案内してくれた使用人が話してくれた。
遊戯がドアをノックすると「入れ」と声が聞こえ恐る恐るドア開け、顔を出せば首からかけている千年パズルの鎖が音を立てる。
海馬の姿を見ると腕はまだ包帯が巻かれ、右手で書類を捲っていた。
「海馬くん?」
「何のようだ」
その一声で遊戯は心の中でがっくり項垂れた。
疲れたような……覇気はなく、上がり下がりのない声色。こういう時の海馬は何も受け付けない。
そもそも今回の中心人物は海馬ともう一人の遊戯であり、彼が気力が戻るには、まず仕事に復帰して望む成果を出し、<遊戯>ともう一度デュエルした時だ。
「先生からプリントを届けるように言われて……急だけど顔見に来たんだ。ここに置いとくね」
遊戯はテーブルに何センチかあろうプリントの束を静かに置いた。
「それじゃあボク帰るよ。お仕事、あまり無理しないでね」
「待て」
「なに?」
「こっちへ来い」
その声と共に海馬は右手で掴んでいた書類をデスクへ置くと顔をあげる。
その日初めて澄み切ったアイスブルーの瞳と目が合った。
遊戯は気が進まなかったが歩み寄ると、やはり彼は浮かない顔だ。
「あの時はすまなかった」
海馬は遊戯の右手を優しく持ち上げ、右手の甲にそっとキスをした。
一行目の「崩壊」は最初は\崩☆壊/だったのですが、書き直しました。遊びたかったんです。青眼の光龍は初出のシルエットシーンが印象的で、何故かポケモンのルギアに見えて仕方ない。