02 ただ感情をぶつけて、どうしたいの?

深夜1時過ぎ、仕事を終えて屋敷に帰宅した。最後に帰ってきたのはいつだったか……覚えていない。 使用人に話を聞くと、遊戯は海馬の言葉どおり屋敷に足を運んでいた。モクバに連絡を入れていたおかげですれ違うこともなかったようだ。
私室に入ると真っ暗で驚いたが、窓から差し込む月明かりでそこに誰かいることを教えてくれる。部屋の灯りをつけると、遊戯の瞳と視線がぶつかった。ニコリと微笑む姿は海馬にとっての女神そのものだ。照れてしまいそうで、他愛ない話題にした。

「明かりぐらいつけたらどうだ」
「おかえりなさい、海馬くん!」
「ただいま」
遊戯がカーペットからソファーに可愛らしく座る。以前より大人びて落ち着いた物腰――スラリと伸びた足から、海馬に及ばずとも身長が伸びたことがわかる。学生時代はカーペットに座ってテーブルで勉強をしていたのに変わったものだ。

「モクバくん、遊び疲れちゃって先に寝ちゃったみたい」
旅に出たことを知ったモクバは酷く落ち込んで、涙した。海馬が探していることはわかっていたし、「遊戯、いつ帰ってくるかな」とよく聞かれたが、いつ頃からかその言葉も言わなくなった。モクバに連絡した時はにわかに信じられない様子だったが、とても喜んでいた。
二人は以前も海馬が帰宅する前は一緒に夕飯を共にし、ゲームをしていた。今日も同じように過ごしたのだろう。遊戯のことを一番心配していたのは、城ノ内でも杏子でもない。会社経営に追われていた海馬でもなく、モクバだった。

「そうか」
短く返事をして遊戯を見ると、半分瞼が閉じかかりソファーに心地よさそうに身を預けていた。
「遊戯。お前も半分寝ているぞ」
引き寄せて横抱きにすると、身長は伸びても体重は大差ない。軽いものだ。
ベッドに下ろせば
「やーだ!まだ寝ないもん」
と言いながら甘え、抱きついてくる。

優しく頭を撫でると、無表情のまま遊戯はぽつりと呟く。
「もし君が負けたら、もう一人のボクのところへ逝く――って言ったらどうする?」
「フン、馬鹿なことを言うな。あんなヤツの元へ逝かせるものか」
鼻で笑いながら、咄嗟に出た言葉は本心だった。

「それより遊戯」
「なぁに?」
「散々焦らされたからな。デュエルより先にお前をもらう」
身体を押し倒すとはっきりと顔が見えて、息を呑んだ真っ赤な顔を照らした。近寄ってきた奴は老若男女問わず、容赦なく蹴散らしてきた。あまりに徹底的なやり方を誰かが漏らしたらしく、ゴシップとして取り上げられたこともあったが、黙らせた。一人でしたこともあったが、仕事の疲れでそんな気にならず寝てしまうことも多かった。

ネクタイを外す、それは合図だ。
「ベッドで抱きついてきた以上、覚悟は出来ているんだろうな?」
「海馬くん、待って!」
「待たん」

行為が終わった後、静かな寝息をたてる遊戯を優しく抱き寄せる。 直前の一言が脳内で木霊して離れない。

もし君が負けたら、もう一人のボクのところへ逝く――って言ったらどうする?
もし君が負けたら、もう一人のボクのところへ逝く――って言ったらどうする?
もし君が負けたら、もう一人のボクのところへ逝く――って言ったらどうする?
もし君が負けたら、もう一人のボクのところへ逝く――って言ったらどうする?

頭から頬、唇を撫でて、一方的なキスをする。切羽詰っていることに気づいてやれない罪悪感――心が痛い。 カーテン越しの朝日が遊戯の髪を通して瞳に焼きついた。

大好きな人の香りに包まれたまま覚醒する……目を擦ると、昨晩の出来事を思い出して再びベッドに潜る。肝心の海馬は既に起きていたようで、バスルームから水音が聞こえた。
(海馬くんが出てきたら、僕も貸してもらおうっと)

遊戯は手探りでベッドのサイドテーブルの引き出しに手を入れると――それはまだ存在した。取り出すと、海馬と<遊戯>――アテムが写っている。もう一人のボクと呼んでいた時も、記憶を取り戻した後も、写真は好まないようだった。世界中に映像資料が残っているのにおかしな話だ。そんな姿を杏子は思い出として無理やり撮影していたが、その写真は遊戯に渡されることはない。この写真はバトルシティが終了後に海馬の部下が記念として渡してくれたもので、遊戯にとって唯一の記録であり、<遊戯>がいたことを証明するものでもある。
これを自宅に保管しないのは、弱いからだと思う。受け取った頃は自宅に大切に保管していたし、海馬の姿を見て寂しさを紛らわしていた時もあった。エジプトから帰国後、写真は海馬邸のここに保管し、遊びにきた時だけ眺めるようにした。虐められていた自分に友達ができて、一緒にデュエルモンスターズができて、海馬くんと知り合って――忘れられるわけがない。思い出の詰まった自宅で見れるほど、強くなかった。
バスルームが静まったことに気がついた遊戯は写真を引き出しに放り込んだ。

海馬がバスローブ一枚でベッドに戻ると、遊戯も起きていた。起床するには少々遅い時間だが――あの行為の後にこの時間ならば、遊戯にしては上出来だろう。
「海馬くん、おはよう」
「おはよう。起きていたのか」
優しく頬に手を添えて唇にキスをする。おはようのキスだ。
「今何時?」
「9時過ぎだ」
「9時?…………えっ、海馬くん、お仕事は?!」
慌てたように遊戯は身を起こして、時計をみた。本当に過ぎている!海馬が翌日こんな時間までゆっくりしていたのは数えられるほどで、遊戯が帰国したから仕事に遅刻したなんてことになったら――ゾッとした。
「仕事は昨日のうちにまとめて進めておいた。久々の逢い引きだからな、ゆっくり過ごしたいだろう?」
「そうなんだ……」
遊戯一人で焦って気が抜けたように、再びベッドへ横たわる。
(びっくりした)
しかし、海馬のまとめてはシャレにならない。部下の人も酷く疲れただろうし、想像したら申し訳なく感じた。 それと同時に今でも変わらぬ気遣いを向けてくれる海馬に嬉しくて、枕に顔を埋める。今、顔を向けたら嬉しさの余りにやけてしまうだろう。
「遊戯。……遊戯!」
「う!!」
海馬に無理矢理顔を向けさせられるとゴキリと首が悲鳴を上げる。歯を食いしばって必死にニヤけるのを抑えたが、無理だった。
「もう……海馬くん、ありがとう。」
遊戯がにやけたような……嬉しそうな笑みをすると、海馬も自然とつられてしまう。愛らしい笑顔を見たら、数年間のことが吹っ飛んでしまうようだった。それほどに遊戯という存在は海馬に刻み込まれている。この存在を隣に置いておけたら、どれだけ幸せだろう。

「よく聞け遊戯、お前はオレとデュエルすることになるだろう。これは予知でも予言でも何でもない、オレとお前の未来へのロードが交わっているからだ」
「未来へのロード……」
久しぶりに聞いたその響きに遊戯は目を伏せた。

水音がするのを確認すると、海馬は完全に閉まっていないベッドのサイドテーブルの引き出しを開けた。本人は気付いてないとでも思っているのか……やはりどこか抜けている。
この写真を見つけた時、最初は独占欲から破り捨てて自分が写っている部分だけ戻しておこうと思った。興味本位でどんな表情で眺めているか気になって見送ったのが運の尽き。それから直ぐに遊戯が泊まりにきて海馬は愕然とした。無表情なのに、時折苦しそうな悲しそうに目を伏せる姿が印象的で、それで何故ここに保管している理由も理解した。処分するということは遊戯の心を占める割合が<遊戯>に負けたことを認めることになる。それはプライドが許さなかった。
海馬瀬人ともあろう人間が恋愛ごときでこんなにも迷うとは落ちぶれたものだ。遊戯に恋してから、今までの海馬瀬人という在り方の矛盾と葛藤はあるが、今はそんなものはどうでもよくなった。人生こそゲームなら、そのゲームで自分の欲に正直になればなるほど上へ上り詰めることができる。欲に従ったからこそ、今、遊戯と繋がっている。
海馬は引き出しを完全に閉めた。