01 夢見て舞うにはまだはやい

先程、骸に連れて行ってもらった世界のように鳥の鳴き声が聞こえる。
強烈な光が眩しくて寝ていられたもんじゃない。
うっすら瞼をひらくと今にもぶつかりそうなほど近い人間がいて、目を見開いた。

瞬きを繰り返したが夢ではないらしい。
目の前にいる人物、リボーンにボンゴレの歴史を叩き込まれた時に目にしたことがある――。

「ボンゴレ、Ⅰ世」
「起きたか」
(待って……オレ、骸の目を見た後に10年バズーカが飛んできて)
相手は至って普通でまるで日常会話をしているようだ。
ようやく顔を離して立ち上がったジョットを見上げると、透き通るブロンドの髪が眩しい。

初めてボンゴレⅠ世を知ったのはヴァリアーとのリング争奪戦のとき。
零地点突破を完成させる為、リボーンがⅠ世の修行を参考にしたからだ。
写真を見るまでは山男を想像していたが凛々しい青年で……断崖絶壁を登る修行と凄くギャップを感じたのを覚えている。

状況が飲み込めずにいる綱吉を引き寄せるように抱きかかえれば
「なっ!ちょっと!!」
「あはは!」
大声を出してしまい、笑われた。
「それだけ元気なら大丈夫だろう、Ⅹ世」
「はい?」
自分がいた世界では彼は生きていない……ということはまさに未知の世界。
今から何百年と先の人間を、なぜ知っているんだろうという疑問にまた混乱してきた。
「考えているより、オレはお前のことはよく知っているぞ?Ⅹ世」
状況も飲み込めないまま、綱吉はただ抱かれているばかりだった。

森林を抜け、少し古びた屋敷に入るとすぐに怒鳴り声が聞こえる。
「ジョット、どこに行ってたんだ!今は――なんだそいつは」
ワインレッドのような鮮やかな髪の毛、どことなく友達の獄寺に似ているのは気のせいだろうか。
「G、オレが捕まえてきたものだが?」
「そういう問題じゃねぇよ!もし、別ファミリーの……」
「大丈夫だ。事が落ち着いたら説明する」
Gと呼ばれた人物はまだ怒鳴り声が聞こえるが、それを無視して階段を上がっていく。
一室に入ると、そっとソファーに降ろされた。
綱吉は部屋を見渡すと、少し大きい机に紙が無造作に置かれているだけだ。

「さてⅩ世、なぜこんなことになったか話してくれるか?」
柔らかいその口調は骸がいつもなだめるようで――心の揺らぎを静める。
さっきから5分以上経っているのに10年前には戻れていない。
それにここは10年後の未来ではないし、過去にしては昔すぎる。嫌な予感しかしない。
静まった心は考えたくない事実を突きつけて、綱吉は顔を真っ青にして視線を地面へと落とした。

ぽつりぽつり、と言葉を紡いで、今の状況を整理しながら話す。
「そうか、様々なことがあったのだな」
頭をぐしゃぐしゃに撫でられても嫌な気はしなかった。
こんなことをするのは母親ぐらいで、家庭教師のリボーンは叩かれるか蹴られることばかりだ。

「でもⅠ世はどうしてオレのこと?」
「ああ……それは秘密だ」
爽やかすぎる笑顔に眩暈がした。
(これがオレのご先祖様か!!タラしすぎる)
女性ならば一発で落ちてしまって、きっと恋人愛人には困らないだろう。
ダメツナと呼ばれている自分と全く違うジョット、行き場のない怒りを握りこぶしに込めて必死に耐えた。

「他の者に説明するにはまだ早いな。オレのことはジョットと呼ぶといい」
「ええ?!」
「現時点では戻れる見込みがないだろう?ツナヨシ、いい子だ」
また撫でられると、先ほど作った握りこぶしを解く。
祖父が孫を可愛がるのがこうなのかと想像したら、自然と納得できた。

(それよりも、骸……)
自分の身は何とかなったら行方がわからない骸のことが急に心配で仕方がない。
向こうからすれば自分こっちが行方不明なのだろう。
骸のことを考えたら落ち着いていたはずの心が揺らいだ。

数回かノック音が聞こえ、ジョットと綱吉は振り返る。
承諾の返事もなしに入り込んできた人物に、綱吉は思わず声を上げた。
「む、くろ?!」
「誰ですか、それは」
声も明らかに別人で、骸の印象に残るオッドアイでもない。
「ごめんなさい、人違いでした」
うな垂れる綱吉を見て、ジョットは、頭をポンと一回叩く。

「ジョット。この子供はなんですか?」
「あぁ、デイモンか……森で拾ったんだ。ツナヨシ、オレの霧の守護者、D・スペードだ」
鋭い目付きから出会った頃の誰も寄せ付けなかった骸を連想させた。
でも前髪はあるし、それでも後頭部少しだけ見えるフサのようなものは一緒だ。
よく見えないが、指輪――おそらく霧のボンゴレリングだろう。

「霧の守護者、ですか」
にやけながら言うとデイモンが睨んできたので身構える。
「デイモン。子供相手に何をそんなに殺気立っているんだ」
「なんでもありません。今日出向いたのは、例のファミリーのことを聞きたかっただけです」
勉強運動全てが駄目な綱吉にとって喧嘩なんて論外だ。
今までは仲間を守る為に戦ってきたが、マフィアになるということは人を殺めるということだ。
(もし、継承したら……オレもこんな会話するのかな)
表情を強張らせたことに気づいて、ジョットは
「デイモン、その話はこっちでする。Gが詳細を知っているだろう」
デイモンを部屋の外に出るように促す。
綱吉は咄嗟にジョットを見たが、後姿だけで、すぐに扉は閉まった。

この部屋に時計はない。
森が近くにあるというのに物音一つしない。
静寂が広がっているだけだ。

どれほどの時間、ソファーに座りながらぼんやりしていただろう。
足音が聞こえ、扉に視線を向けるとジョットだけが入ってくる。
いつも笑みを絶やさない人だ、と、綱吉は思った。
「退屈だっただろう?待たせて済まなかった」
「いえ、いいんです。お仕事の話は……大事だと思うから」
「そうか」
吐き捨てるような言葉が気になり、ジョットを見上げると無表情だった。
オレンジ色の瞳は切なそうで、それ以上の感情は読み取れない。

「ジョットさん?」
「いや、なんでもないんだ。それより、ジャッポーネの話を聞かせてくれないか?」
真正面のソファーに座り、足を組む姿は様になる。
「ジャッポーネ……日本?」
「日本に友人がいて、毎回土産話が楽しみなんだ」

イタリアから日本に渡り、最終的に沢田姓を名乗りだしたのも納得がいく。
きっと、今自分いる場所より広い世界に目を向けて楽しくて仕方が無いのだろう。
リボーンが我が家に来て、友達ができて、1人の世界から抜け出した時のように……。

自分の家族のこと、友人のこと、ファミリーのこと、日本文化のこと。
知っている知識を、一生懸命伝えていたら時間はあっという間に過ぎる。
日は傾き空はオレンジ色から紺色へ、星空へと変わっていた。

「そろそろ夕食か」
ジョットが、ポケットから時計を取り出して時間をみる。
カチリと音を立てた懐中時計は金色で使い込んでいるのか傷も目立つ。
「ツナヨシも食べるだろう?こっちだ」
「オレも?」
不思議そうな顔で見つめると、逆に不思議そうな顔をされる。
「現時点では戻れる見込みがないだろう?これで2度目だ」
順応性は良いのか、我が家のようにくつろいでいて、全く気にしていなかった。
「こっちだ」
(わっ!!)
優しく握られた手に胸が飛び跳ねる。
骸もさりげなくエスコートしてくれて助かっていたけれど、人が違うだけでこんなに驚いてしまう。
手を引かれて部屋を後にすると、廊下の冷気が肌をなぞった。

夕食は思ったより質素だった。
リボーンに食事のマナーを教わっていたのが役立ったが、ジョットはそんなことに気に留める様子はなかった。

いつの間に用意したのか、部屋に案内されると
「ゆっくり休むと良い」
そう言いながらジョットは優しく綱吉の頬を撫でられて――男をあやす手付きではなかった。

部屋に1人になったら直ぐにベッドに潜りこむ。
綱吉はすぐに出て行ったことが少し気になった、が――相手はボンゴレのボス。
元は自警団だったらしいが今では大規模な組織のようだ。
(今が何年とかは……わからないけど)
面倒な考え事をしたら眠気が襲ってくる。
元に戻れる兆しもなく素直に目を瞑って蹲った。

「……」
真夜中、背中にじんわり痛みが広がって天井が視界に入る。
どうやらベッドから転がり落ちてしまったらしく、毛布はぐしゃぐしゃだ。
地面から冷たい感触が伝わりやはり夢じゃないと再認識させた。

窓を覗いても外はまだ暗い。
扉を開けて廊下に顔を出すと何かが臭う。
嗅ぎなれないというわけではなく、どこか癖がある――でも記憶を辿っても思い出せない。

不安になった綱吉はその臭いが充満する方へ向かった。
幸いなことに死ぬ気丸とグローブもあるので、いざとなれば少しぐらい無茶は出来るだろう。
灯りが廊下に漏れている一室の前で足を止める。
この付近がやけに臭いが濃いのだ。

扉の隙間からそっと覗き込む姿はまるで泥棒のようだった。
「嗚呼、この服はもう駄目だな……」
(ジョットさん?)
大きな音をたてて、床にマントがふわりと落ちる。
黒いマントにランプの光が反射した。

「Gもご苦労だったな。デイモンは?」
「奴ならもう帰った。それで息子はナックルの孤児院に預けるのか?」
「ああ、そうしてくれ」
ネクタイを脱ぐ姿は大人の男性そのものだ。
振り向き様に赤い何かが……手で口元を蓋う。
(いや、そんなわけ。でも……)
床に放置されたままのマントをよく見れば、一部分だけ色が違う。
「ジョット。ついでに今日拾ってきたあいつも一緒に預けたらどうだ?」
「ツナヨシはここに置いておく」
「相変わらず物好きだな。長い付き合いでも、ジョット以上に変わり者は知らないぜ」
「……何とでも言え」
自分の時と一緒の優しい声色とは裏腹に、真っ赤に染まったマントと服。
綱吉はその染みから目を離すことができず、初めて心からマフィアが恐かった。

あの光景を目にした後、どうやって部屋に戻ったのか記憶がない。
(血の臭いだったんだ)
偶然不良に捕まって殴られて、口の中が切れれば苦い味がする。
修行の時の怪我や仲間が傷つけば血は必然と流れる。
あの会話からしてジョットやGに一切怪我はないのだろう。
ただ、想像を超える大量の血を浴びた、もしくは、その場にいて服に臭いが染み付いたか――。
どちらにせよ自分とは無縁だと思いたい光景だ。

聞こえてくる物音を毛布を被って出来る限り遮る。
扉が開き、あの人の声が聞こえた。
「ツナヨシ……」
「……」
「見ていたのだろう?」
返事は、返さない。
もう血生臭さはないが、考えるだけであの臭いを思い出してしまう。
「汚い男で厭きれたか?だが、これが“今の”ボンゴレなんだ……」
毛布越しに、抱きしめられたのが解る。
「良い夢を……おやすみ、ツナヨシ」
足音は遠ざかっていき、気配が消えてから顔を出す。

笑みを絶やさないジョット。
屋敷に充満させるほどの血生臭い行為をするボンゴレⅠ世。
あまりのギャップに、溜め込んでいた息を一気に吐き出す。
吸い込んだ空気も、自分の体温も冷たすぎた。