“ボス、骸様を助けて…………”
机に座りリボーンからの課題は片付かず、手は止まったまま。
つい先程三人で下校してた時にクローム髑髏がやって来たのだ。
獄寺はあまりいい顔をしなかったが。
“ボス、骸様を助けて”とだけ言い残して風のように去って行った。
残された三人のうち二人は何のことだと首を傾げたが綱吉だけはその言葉の重さを理解した。
首を絞められた日以来、骸は姿を現さなくなった。
彼がくるのが一日の日課になってしまう程だったのにピタリと痕跡が消えた。
まるで時間に取り残されたように。
決して骸が心からしつこいとは思ったことはなかった。
ただ、手を握ったり無駄に自分の所へ通うことが不思議だった。
彼は 何を 伝えたかったのか?
課題が終わらず綱吉は夕飯後リボーンに喝を入れられ、むしゃくしゃして脱ぐものだけ脱いで風呂場の浴槽に飛び込んだ。
「ぷはっ!」
温かい水が顔を伝う。
喝を入れられても考えるのは彼のこと。
水面を覗けば骸の顔が見えそうだが、見えるのは自分の身体。
骸は全身が水に浸かっていてこんな温かいものではない。
浴槽に寄りかかると自然と意識は沈んでいった。
「おやおや……君まで迷いこんだとは驚いた」
聞き覚えのある声だと思って瞳を開く。
「って、骸?!」
「こんばんは綱吉君」
(オレって風呂に入ってなかったっけ?)
辺りを見回すと風呂場など何処にもなく、自然が広がる場所だった。
「あれオレ……」
「驚くのも仕方ありません、ここは精神意識の世界。例えるなら“夢”とでも言っておきましょう」
態度も口調も何一つ変わりない、綱吉には数日前と同じ骸に感じられた。
「そういえば夕方、クローム髑髏に会って……お前を助けてって言われて」
「クフフフ……あの子は僕の感情には敏感ですからね、要らぬ心配をさせてしまったようです」
いつもと変わらぬ手を握る行為。
数日会わなかっただけで何故こんなにも不安になるのだろうか。
「骸、オレ……」
「綱吉君。君の精神が揺らいでいます、あまりこの世界には来ない方がいい」
辺りは晴れていた大空から灰色の曇が蔽い、強い風が吹き付ける。
離れる手がこんなに名残惜しく感じる。
「綱吉くん………………」
「骸!!」
「ん……」
重たい瞼をあけると自分の部屋だとわかる。
「このダメツナが、風呂で寝てのぼせるなんてな。どうした?」
何かに縋るように握り締める布団。
この末期な感情
アイツはずっとこの言葉を伝えようとしていた。
毎日毎日毎日オレの所へ通って。
素直に言うなんて無理だと解かって遠まわしに解かりづらく。
でも気づいて欲しくて。
あ
右を見ても左を見ても正面を見ても明らかに異国の土地だと実感した。
綱吉が家庭教師のリボーンに無茶な願いを言い出したのは精神意識世界で骸と邂逅した次の日の夜である。
「頼むよ、リボーン!!」
「無理だ」
”復讐者の牢から骸を出して欲しい”と言ったのだ。
「なんで突然そんなことを言い出した?」
「それは、詳しいことはわからないけさ……クロームが何か言いたげだったから」
骸が毎日自分の所に通っていたなんて言えない。
その思いつめた表情から何かを読み取ったリボーンはコーヒーを口に運びならが言った。
地中海のど真ん中に位置するシチリア島の国際空港に降り立った綱吉は明らかに迷子だった。
リボーンによると迎えが来ると言っていたが誰だかわからない。
辺りを見回しているとポンポンと肩を叩かれてビクリと飛び跳ねる。
「こんにちは、沢田さん」
「ひ……!! ……モレッティさん!」
「本部に案内されるように頼まれましてね。さぁ、行きましょうか」
殺され屋を持つ門外顧問組織CEDEFの一人。
マフィアなのに冗談好きで部屋に仮死状態でいたことを思い出すと綱吉は大丈夫か不安になった。
モレッティが運転する車に乗せられると今までの日常があまりに小さいものだったのだと実感する。
獄寺や山本には休むとだけしか告げずに日本を飛び出してきた。
「十代目、初めてのイタリアですよね? ついでに観光なんてどーです?」
「え?!あ~……いや、時間があれば……行きたい、かな?」
「九代目に会うのが目的ですからね。十代目自身直々に会いたい理由なんてよっぽどな事情なんでしょうね」
(リボーン、どこまで話をしてるんだ)
日本にも遊びにきたことがある彼はボスになりたがらない自分も知っていれば門外顧問の父親からダメダメな話を聞いてる。
だからこそ、綱吉がイタリアへまで赴くのを不思議に思ったのだろう。
「オレにとっては……凄く大事な用事です」
「そうですか。十代目は親方様の息子さんなんですから何かのお考えのあってのことでしょう」
考えあってのこと、と言われたが九代目に会って何かが変わるのかはわからない。
ダメツナと言われていてもこの気持ちは譲れなかった。
「ここが本部ですよ」
空港から車で何時間掛かっただろうか。
辺りは林と山でこんな辺鄙にマフィアの本部があるなどとは普通は思わないだろう。
「あまり動かないでくださいね。林は警報装置やトラップのカモフラージュとして使ってるんですよ」
綱吉は納得した反面、一瞬にして木の近くから飛びのいた。
「九代目にも話しは通ってますからすぐにお会いすることが出来ますよ」
建物の中に入ると日本にいるリボーンの言葉が脳裏に浮かぶ。
ボンゴレの権力は強大なものだ。
一般人から政治家や国のトップさえも動かすことが出来る。
それは牢に入ってる人間も、だ。
マフィアになんてならないとお前は言うが何と言おうがボンゴレ十代目だ。
その未来を拒否するんなら、今なら何処へだって逃げれるだろうよ。
もし本気でマフィアのボスになるんなら九代目に会ってそれを話してみればなんとかなるかもしれねーな。
通された部屋は窓はなく電球だけが灯り、テーブルとソファーだけが置いてあった。
まさにこのことを殺風景というのだろう。
鈍い扉が開く音がして振り返ると、あの優しい笑みを浮かべた九代目がいた。
緊張してガチガチに固まった綱吉を九代目は優しく頭を撫でてソファーへと誘う。
ムスカの中に入っていたが一命を取り留めた後は、イタリアの本部へと戻ったと聞いた。
何をどう話せばいいか自分からは何も言えず、先に口を開いたのはやはり九代目だった。
「よくイタリアへ来たね、あの時よりずっと成長した顔をしている」
(あの時……ボンゴレリング争奪戦の時の)
「はい……」
今の綱吉にとっては返事をするだけで精一杯。
「綱吉くん、君がわざわざイタリアの私の所へ来たということは何か理由があるのだろう?」
そうだ
言わなきゃいけない
言わなきゃ何も進まない
「その……本当はマフィアのボスになんてなりたくないんです。
でも仲間を……大事な人たちを守りたくて力を手に入れたけど、オレはまだそれだけじゃまだ救えなくて……だから、だから守りたい力が欲しいんです!
こんなやり方間違ってるってわかってるけど、だけど……」
「ソイツにマフィアになって怨まれても守りたいんです!」
綱吉の想いを九代目は静かに合槌を打つこともなく聴いていた。
「それは六道骸、のことかな?」
「!!」
「リボーンからある程度の話しを聞いてたが綱吉くん、君自身の口から聴きたかったんだよ」
取り乱す姿もなく、九代目も全てを受け止める覚悟があったと悟った。
「“オメルタの掟”というものを知っているかい?」
「オメルタのおき、て……?」
オウム返しのように聞き慣れない言葉についつい額に皺を寄せる。
「血の掟ともいう。マフィアのメンバーになる時に行う儀式をこう呼ぶんだよ。お互いの親指に針を刺して血を出し、その流れ血を重ねることでファミリーになったという証とするんだ」
それを聞いて痛いのを好まない為か血の気が引いた気がした。
「詳しくは言わないが、オメルタの掟をすれば、10の誓いをたてることになるんだよ。マフィアのボスになるということは見知らぬ人の不幸も全てを背負うことになる」
「それでも、オレは……!」
「綱吉くん、本当に君はマフィアのボスにはあまりに不向きな優しさを持っている」
「それでも全てを背負う覚悟はあるかい?」
日本からイタリアへ来たときには全て決めていた
他の人を傷つけるなんて出来ない
でも自分の仲間も守りたかった
矛盾してるなんてことはわかってる
それでも大切な人を失いたくなんてなかった
「覚悟は、決めてます」
「そうか、ありがとう。不向きな優しさを持っていても誰よりもその意思は強いからこそ、君を選んだんだ」
答えた九代目は全てを包み込むような優しい表情になる。
それを見た綱吉はハッとしたように自分の心が抱えていた不安が消え去るのを感じた。
「九代目、ありがとうございます」
九代目が先程の綱吉の返答に納得してくれたことですっかり力が抜けた。
「君には言わなくはいけないね」
全てを包み込むような笑顔だったものは消え去り、今は重い空気が部屋を包む。
「つい数週間前だ、六道骸を処刑する提案が出たのは」
「え?!」
その言葉を聞いたら目の前が揺らぐように視点が合わなくなる。
「だ、だけど。復讐者は法では裁けない人間をってリボーンが……!」
(骸、なんでそんな重大なこと言わないんだよ!!)
それならば数週間前から自分の元へ通う理由も頷ける。
何か嫌な予感がしたのか、それともこの事実を知っていたのか。
以前と変わらぬ態度で、でも何かを伝えようとしていた。
なのに オレは
「リボーンの言うことは正しい。この世の法では裁けぬ罪を犯したマフィアを捕らえる。そして彼は仮にも綱吉くんの霧の守護者だ、彼らの意見を押し止まらせるのには苦労したよ」
「じゃあ、骸は処刑されなくて済むんですか?!」
「私とそして綱吉くんの意思が一致した今、それはありえないだろう」
心から良かったと思ったのは何度目だろう。
リボーンが家庭教師になってから仲間が死ぬようなことも何度もあった。
それをくぐり抜ける度によかったと心を撫で下ろす。
「六道骸は守護者についたといっても、ボンゴレの中では危険視する批判の声も多い。彼らは我が息子のザンザスのようなクーデターを恐れているんだよ。だが六道骸の意思は今までの彼の過去が辛く苦しいものだからこそだ」
「九代目、ありがとうございます」
泣くのに躊躇することなど今の綱吉にはなかった。
ザンザスの件がある以上、ボンゴレが一枚岩ではないのは解かりきっていた。
それでも骸が無事なのだと、命が保障されるのだと思うと涙は止まらなかった。
九代目との密談が終わってから一週間以上経つ。
日本に残してきた仲間が気にならないといえば嘘になる。
早く顔を見せて元気だと伝えたい。
九代目はあの日以降はスケジュールの調節はつかず、ボンゴレのボスとしての仕事や、無理に頼み込んだ骸の件で処理に追われてるのは解かりきっていた。
もし自分がボスになったらそんな大変なデスクワークをすると思うと項垂れるしかない。
(でも、もう”もし”ではなくなったけれど……)
ノックする音が響いて綱吉は視線を扉へと移す。
「こんにちは十代目」
それは本部までの案内役でもあったモレッティであった。
ノリのよさそうな笑顔は相変わらずで車で送ってくれる時も緊張を解そうと努力してくれていた。
今になって綱吉にはわかった。
「その調子だと九代目との話は上手くいったみたいですね、表情に出てますよ」
「モレッティさんが本部に連れてきてくれたからです! ありがとうございました」
「っと、伝言を頼まれてましてね。リボーンさんが明日にでも日本に帰国するように連絡が来ましたよ」
完全に我が家のように寛いでいるがここは“今の自分”がいるべき場所ではない。
それは綱吉は把握しているつもりだし、リボーンの伝言には反論しなかった。
「それと九代目の紹介で会わせたい方がいるんですよ、来てもらえませんか?」
「あ、はい!」
ベットから急いで飛び降りると靴を履いてモレッティの後を追った。