03 幸せの定理

「一馬落ち着いて?」
大声を聞いても英士は驚くことなく、冷静のままだった。
一息おいて結人を見ながら注意する。
「それに結人も冗談で言ってるんだよ」
今の一馬にとっては逆効果でしかなかった。
「人のところ、からかって楽しいよ!? もうほっといてくれ!」
一馬は2人を置いて走っていってしまった。

喧嘩したのにも関らず、家に泊まるなどできず、2人は公園のベンチにいた。
「結人があんな事言うからだよ?」
結人は手に持っている缶コーヒーを飲みながら返事を返す。
「悪かったよ」
「一馬ってああいう性格だって知ってるでしょ? 言ってこうなるんだから……」
「ところで今何時?」
「9時50分」
練習後の着替えに下着も替えたとはいえ、汗がTシャツに張り付いて気持ち悪い。
夏真っ盛り、夜になれば蒸し暑くなってきて体力的にも厳しい。
「英士……これからどうすんの?」
「まぁ、一馬の家には行けないね。終電で帰るでもいいけど……」
「どうするかー。 それよりどうしてあんな事いったんだよ?」
「あんな事って?」
「だから、食ってる時の―-」
思い当たる“あんな事”は1つしかなくて、英士は納得した様に口を開く。
「そのままだよ。親友だから応援してあげたい、でも名字さんに何かあった時に一馬の悲しい顔は見たくない」
「……英士の言う事も一理あるよな」

「はぁ……」
一馬はため息を漏らすと同時にベッドにダイブする。
後から考えれば冗談だったという事がすぐに分かる。
階段を上がってくる時、母親に風呂も勧められた。
「まさか、帰ったよな……?」
2人は良い意味でしつこく、そして頑固だ。
自分の目で確かめる他に落ち着く術は知らなかった。

外に出ると空を見上げると、星が少しだけ見える。
東京だけあって、周りの煌々と照っている街の光で星など殆ど見えない。
夜だというのに気温はまだ30度以上ありそうな気がする。
確認といっても、ただ自分の気持ちを落ち着ける為に辺りを歩くだけ。
いない!帰ったんだ!
そう思っても、気持ちは落ち着かない。

「熱ちぃ~」
「我慢しなよ。元々は結人のせいでしょ?」
まるでホームレスのようだが、我が儘など言ってられない。
「……やっぱり厳しすぎたかな?」
「かなり厳しいね」
「でも大切な親友の事を考えるとそう思うんだよ。――それより結人にお客さんじゃないの?」
英士は公園の入り口を指差す。
「一馬?!」
「結人!俺、ごめん」
「俺も冗談きつかったよな、ごめんな」
英士はタオルで額を拭いて、その発言は現実へと引き戻してくれる。
「一馬、お風呂貸してくれる?」
「そういえば……」
英士の発言で結人は肌へと張り付いたTシャツを見る。
「あ……悪ぃ。 家行こうぜ?」
一馬はほっとしていった。
時計を見ると11時半を回っていた。

「でも一馬、良かったな~?」
「な、何がだよ!」
「照れちゃって~。でも明日は飯、食いに行くんだろ?」
「ああ……」
一馬は顔を真っ赤にする。
「それより、俺は疲れたから先寝るから」
「ったく、英士って真面目だな~。明日も午後から練習だし」

 

「今日は一馬の大好きなお名前(女)ちゃんの手料理だな~」
「う……」
一馬は名前を出されるだけで、頬が熱を持つ。
終業式の朝、お互いに接点がない状態から、数日でよくもここまで進展するものだ。
(マジでドラマみたいなことってあるんだ……)
「ささ、一馬!!」
背中を押されて、一馬は指をふるふると震えながら呼び鈴を押した。
「練習お疲れ様! あがってー! また1人居るけど……。それに夕飯はもう出来てるよ」
お名前(女)は嬉しそうに笑っている。
数日で図々し過ぎないか、と一馬は観察しているが、嫌がっている節はない。
お名前(女)より自分の連れてきた英士の方が今日1日中不機嫌で、そちらの方が厄介だと思った。

「ってこれ、全部……お名前(女)ちゃんが?」
洋食だが、店で注文するものと大差なかった。
淡いグリーン色のテーブルクロス、食器で随分と内容の印象も変わった。
「そうに決まってるでしょ!」
まるで、昨日あんなに私が美味しいって言ったのに信じてなかったのね!と、言わんばかり。
友人のお名前は一番にテーブルに座って、そわそわしながら待っている。
先に食べても良かったのに、友人のお名前はあえて手は付けず、ずっと待っていた。
「と一馬君達も座って食べてよ」
4人とも席に付いておかずへ箸をつける。
「おいしい? 味見はしたんだけど……」
お名前(女)は恐る恐る聞くが、すぐには反応は返ってこなかった。
目線だけで、手元を確認すれば、聞かれた後も、手が止まることはなく、食事を続ける。
「上手い……」
「郭君と真田君は?」
英士は魚を口に運んでピタリと箸をとめた。
「美味しい」
「こんな上手いの初めて食べた……」
「ホント?! ありがとう、もっと料理の勉強するね」

「ぷは~……上手かった! ご馳走様でしたっ! 食べにきて良かったぁー!」
「若菜くん、ありがとう」
テーブルに並べられていた料理はあっという間になくなった。
女子の4人からすれば、食べる量が想像以上で、計算を上回っていた。
「でも美味しかったんだよな~……。 な、一馬~?」
「あ……あう、上手かった」
一馬は結人に急に話題を振られ、恥ずかしそうに答える姿を見て、お名前(女)は苦笑いを浮かべた。
「それじゃ、私は片付けてるね」
食器を持って台所に行き、水の流れる音が聞こえてきた。

「一馬。ちゃんと美味しかったって言えよな?」
小突かれながらダメだしだれて、凹むしかない。
上がり症なのは望んでいるわけではない、小学校から恋愛沙汰は興味がなかった。
正直、中学校に入学してからも、こんなことになるとは思ってなかった。
「わかってるよ……」
「なら、明日の練習に誘えば? カッコいいところ見せるんだよっ!」
「……!!」
ここ数日、調子が落ちていた一馬は、今日の練習からはそれが嘘だったかのように戻った。
明らかに自分に向けてパスしたボールをスルーしたことを思い出すと
(今なら変なヘマはしないだろうけど……)
頭を抱え込みたくなった。
それをやり取りを口を挟まず見ていた友人のお名前は、平然と台詞を棒読みする。
「……ふぅ。お名前(女)、真田が話したいことあるってー」
「真田君、何?」
「あ、あの……明日……」
「明日?」
結人が一馬の肩を抱きながら、冷や汗をかきながらフォローする。
「あ~。明日練習見に来て欲しいんだって!」
「ホント? でも私、サッカーとか見に行くの初めてだけど大丈夫かな?」
「そんなの大丈夫!」
一馬のぎこちない会話を、結人がフォローして毎回約束を取り付ける。
(本当にこの4人で行動って無理あるんじゃないの……)
友人のお名前が上辺で、「私もいこうかなー」とか、色々呟きながら思う。
「時間と場所は?」
「14時ごろに飛葉中に来るといいよ」
「うん、ありがとう! 遊びに行くね」

お名前(女)はグラウンドの日陰で、ミニゲームをぼんやりと見ていた。
声は、――あえてかけなかった。
見ていても何をしているのかさっぱり解らないが、あの4人が真剣に取り組む姿は、印象をがらりと変える。
比較的早く練習が落ち着いた英士が、お名前(女)の存在に気付いたようでじっと見てきた。
会釈してから、大きく手を振れば、こちらに歩いてきて、お名前(女)はほっとした。
「郭君、こんにちは! 練習見てたけど、何してるのかさっぱりだったけど、4人とも上手くてびっくりしちゃった!」
「こんにちは」
スポーツとは縁がなく、先日ルールを教えてもらっても相変わらず未知の世界だ。
知り合いの上手くいった瞬間を見ると、不思議と笑みが零れる。
「…………」
「郭くん?」
残りの4人がミニゲームが終わる頃、彼女の姿はどこにもなかった。

「あれ、そういえばお名前(女)ちゃん遊びにきたのかな?」
結人がグラウンドを軽く見渡しても、それらしき人影は見つからない。
「帰ったよ」
「……何で?」
「…………」
英士は何も言わず、水を飲み干した。

 

「郭君……?」
「名字さん、もう一馬に関わらないでくれる?」
「え?」
「君の事情は一馬から聞いてる。だからこそ関わって欲しくないんだけどね」
「あの……学校で倒れて迷惑掛けたのは反省してます」
「そうじゃなくて。何かあった時、一馬の悲しむ顔が見たくないからね。それ以前に――人を信じれない人が一馬と一緒に居る資格なんか無い」

「はぁ……はぁ……」
久々に全力疾走して、息切れした。
空気が気まずくて、気付いた時には自分の家の近くだった
思い出すと、胸焼けがして、頭を左右に振る。
あの衝撃を喩えるならば、不意に鉄アレイで頭を殴られたようだった。
まだその痛みが波紋して、脳内に響き続けている。

大急ぎで、家の鍵を開けると、鞄を投げ捨てて風呂場に篭る。
シャワー音が心地良い。
あの苦しい声を少しだけ消してくれるが、目を瞑るとすぐに英士が目の前に現れる。

あの言葉は図星すぎた。
彼が、こんな私に好意を抱いてくれている。
生まれて初めてあんな大人数で食卓を囲んだかもしれない。
浅い人間付き合いが、久方ぶりに楽しいと思った。
一番、他人を傷つ続けていたのは、紛れもない私自身でした。

「あ」
何か寒いと思ったら、急ぎすぎて、温度調節せずに水のまま浴びていたらしい。
紫色の唇のまま、シャワーを止めた。