遊戯が日本を発ってからの海馬は“遊戯が戻る前”と変わらぬ生活に戻っていた。朝からけたたましく鳴り響く電話の呼び出し音、進展のないプロジェクト、不規則な食事と睡眠時間。
学ラン姿のモクバが社長室に現れたのは、そんな時だった。
第一回バトルシティから早5年の月日が流れ、モクバも成長した。身長は約175cmほど、遊戯の身長を追い越した。まだあどけなさは残るものの、凛々しくなった顔つき――海馬に似た無駄のないシルエットは美青年というに相応しい。副社長の仕事の傍ら、高校に通学している。
海馬自身、モクバには学生らしい生活を送って欲しいと強く願っており、それと同時に高校卒業を強いていた。当初海外のスクールを薦めていたのだが……本人の強い希望だったのが遊戯と海馬、二人の母校の童実野高校だった。
「兄サマ、お願いがあるんだけど……」
「ほう、なんだ?」
業務連絡かと思っていた海馬は目を丸くしてパソコンの画面から顔を上げた。モクバはソファーに座り、疲れたような……浮かない顔をしていた。
「遊戯のことなんだけど、海馬コーポレーションの専属デュエリストとして契約して欲しいんだ」
そこで一息ついてから、うわずった声で
「無理ならオレがパトロンになってもいいんだけど」
と、遠慮がちに答える。
「フン、お前に言われなくとも遊戯が帰国し次第話す予定だった。だが直ぐに本契約は難しいだろうな」
成長したモクバは仕事と情をきちんと区別できるようになり、より副社長らしい冷静な判断ができるようになった。海馬の“難しい”の意図を理解し、不服な顔はしなかった。そのモクバがここ数年では珍しい私情に近い申し出をしたので、海馬は珍しく思う。
「随分と気に入っているんだな……ヤツを」
「兄サマの恋人はオレにとっては義兄姉、手厚くするのは当たり前なんだぜぃ!」
「ふぅん、それだけか?」
元々モクバは遊戯に懐いていた影響だと想像できたが、嫌味混じりの発言をしたのがまずかった。
「兄サマ――オレにとって、遊戯は母サマみたいな存在なんだ」
その問に答えたモクバは神妙な面持ちだった。
(母、だと――?!)
あまりに予想外の答えに驚いた海馬は、見当違いのキーを入力して指が止まる。
「それに兄サマと何かあった時、慰めるのはオレがしたいんだぜぃ。オレは遊戯と兄サマに、笑っていて欲しいから、兄サマから奪おうなんて考えてないけど」
目を細めながら「そんなことしたらオレ、兄サマに殺されちゃうし」――独り言のように続け、挑発するようにモクバは笑った。やけに突っかかるような言い方でこんな言い方をするモクバを見たことがなかった。海馬は手元を睨みつけ何も言わなかった。
だが、これで遊戯をどう見ているかよくわかった。義兄姉なんてとんでもない!胸が高鳴り、時に情欲を感じる対象として見ていることを……モクバは、遊戯に恋している。
「ねぇ、兄サマ、屋敷に遊戯の部屋も作っていい?」
「何?!」
「オレの部屋の近くでもいいし、部屋の場所は兄サマに任せるよ。本契約までオレが遊戯をしっかりサポートするんだから部屋の一つや二つ用意しないと駄目なんだぜぃ!細かい部分はオレがやっておくから、兄サマは内装と家具担当で!」
モクバはどうあっても自分の部屋の近くに遊戯の部屋は作らないことを知っている――彼なりの圧力らしい。
「じゃあ、屋敷に戻るから。兄サマ、ちゃんと休憩取るんだぜぃ!」
「モクバ!!」
言いたいことだけ言って嬉しそうな笑顔……制止の声は無視され、足音は社長室から遠ざかった。
先程モクバが語ったことは本心だろう。宣戦布告とも取れるものであったが、海馬と遊戯の関係を拗らせるつもりはないことはわかった。
遊戯に恋していることにショックを受けてないというと嘘になるが、もし子供がいて、誰かに恋し、大人に成長していく姿をみるのはこんな気持ちなのかもしれない。その恋の対象が兄の恋人とは……海馬は大きくため息をついた。
モクバは社長専用のエレベーターに乗り込むと一階へ直行する。先程の兄の顔を思い出して笑う。
モクバにとって武藤遊戯という存在は、兄を負かした憎むべき敵だった。DEATH-Tの一件以降、交流が増えるうちに、海馬瀬人の弟というポストを捨て去ることができる唯一の存在になった。何でも話すことができた。学校のことから会社のこと、誰にも打ち明けられない兄のことまで。食事やゲームを共にするうちに遊戯の人柄から、顔も知らなぬ母に重ねるようになっていった。
そんな時だ、彼が放浪の旅に出たのは。母のようだと勝手に思っていたとはいえ、置いて行かれたことにショックを受けたし、絶望した。兄のように大人でもなければ影響力もないけれど、「自分がついていればよかった」と、後悔した。その時気付いたのだ……“兄抜きで、遊戯を守りたい”のだと。
到着を知らせる音が響くと扉が開く。歩き出すと社員が深々と頭を下げた。出入口に横付けされたリムジンに乗り込んで発進するとスマートフォンを取り出し、遊戯が喜びそうなものをリストアップしていく。
(見せた時、どんな顔するか楽しみだぜぃ!)