海馬コーポレーションから帰宅して、遊戯と海馬は遅めの夕食を取っていた。モクバは先に済ませていた為、パフェをつついている。メインディッシュが終わり残すはデザートとコーヒーだけとなった時、海馬は口を開いた。
「遊戯、これからどうするつもりだ?」
「童実野町で暮らす前に一旦帰るよ。お礼も言いたいし」
途端、モクバは顔を歪め、それを見た遊戯はモクバを見ながらニコリと微笑む。それはアイ・コンタクトのようで、確かな約束だった。
「遊戯……絶対、約束だぜぃ?」
「うん!約束」
タイミングを見計らい運ばれてきたコーヒー。海馬は直ぐに口につけるとブラック特有の味わいが広がった。
海馬は帰国した遊戯をよくよく観察していた。3年でどう成長したかと思ったが、英語はからきし駄目だった。ゲーム以外に彼が金銭を得られそうな秀でた部分も確認できず、まさかギャンブルで生活費を稼いでいたとは思えない。日本の生活が長い遊戯にとって外国での生活は不慣れに違いなく、ということはパトロンがいることになる。それを考えた吐き気がするほど腸が煮えくり返った。
「どこの馬の骨に世話になっていた?オレ様が直々に礼の手紙でも認めてやろう」
「それなんだけどさ。あまり海馬くんには言いたくない……かな」
「ふぅん」
遊戯は濁しながらデザートを口に運ぶと、海馬は案の定不機嫌な表情と声だった。不機嫌でも海馬は至って冷静だった。遊戯は、自分の手の内にある――確信があった。それを知っているからこそ、先ほどの言葉など
(可愛らしいものだ)
海馬は胸の内で思った。少しばかり強く出たら遊戯は逆らえないと思うと自然と笑みが浮かぶ。
「庇い立てするなら命令してやろう。誰の元にいた?お前は賭けに負けたのだ」
「げぇ…………わかったよ。イシズさんのところ。エジプト」
“イシズ”と聞いた途端、海馬は瞳孔が開いた。怒りで震える姿を見て、遊戯は海馬から追求される形でよかったと胸を撫で下ろした。隠し通せるとは思っていないが、時間が経ってから告げたら、手が付けられない程不機嫌になっていたかもしれない。
イシズと海馬の関係はとても悪い。第1回バトルシティを開催させ、海馬を上手く手玉に取る強かな女性。それが気に入らないらしい。アテムが冥界へ還り二度と顔を見ることもないと思っていた海馬だったが、招待されたパーティーで何度か顔を合わせていた。
イシズは遊戯が旅に出たことを知っており、海馬が顔を合わせる度、探りを入れていたがイシズも馬鹿ではない。海馬が遊戯を探していることを承知で自分の元で保護していたのだ!
(…………あの女!!)
引きつった口元はよからぬことを考えているとわかる。モクバと遊戯は不安そうに顔を見合わせた。
「イシズさんに無理言ってお願いしたんだ。責めるならボクにして欲しい」
「フン」
その発言も気に入らなかったようで、海馬は乱暴にカップを持ち上げてコーヒーに口をつけた。
「飛行機のチケット取れたら、直ぐにでも行ってくるよ」
「自家用ジェットを飛ばしてもいいぞ」
ここまで信用されてないとは……遊戯はがっくり項垂れる。この一時帰国で、童実野町が好きだと実感した。今後の人生を変えてしまう出会いと事件の連続。この町が、この二人と過ごせる場所が好きなのだ。いつか正直に伝えることができたら……遊戯は言う。
「そこまでしなくていいよ。ボク、ちゃんと戻ってくるから」
遊戯はエジプトで間借りしていた部屋を整理して帰国した。空港まで送ってくれたイシズとマリクとリシドの姿を思い出す。城之内達が友達や仲間というならば、イシズ達は恩人という言葉がに相応しい。
急なことは今に始まったことではないが、後日送られてきた荷物に母親も祖父も驚くだろう。遊戯は一度実家に寄ってから、海馬の元へ向かおうと決めた。
実家に顔を出すとやはり驚かれた。腰を据える祝いとして夕飯を勧められて三人で食卓を囲む。ふと母親が
「これで恋人でも連れてきてくれたらママもおじーちゃんも安心できるんだけど」
と口にしたら、祖父が
「遊戯もワシの若い頃に似てイイ男だから、恋人ぐらいおるじゃろ!」
ニカッと笑いながらウインクをして――遊戯は(じーちゃんは海馬くんのことわかってるんだ)と、ぼんやりと思う。
遊戯はおじいちゃんっ子だ。家にいない単身赴任の父とゲームに興味がない母より、祖父と過ごす時間がなにより楽しかった。あの日、海馬とデュエルすることになった経緯、そしてライバルとなったきっかけ――青眼の白龍。全て祖父から始まった。
「そうだね。いつか紹介するよ」
遊戯も祖父の顔をみながらニカッと笑った。
夜9時を過ぎた頃、海馬に連絡をいれると屋敷にいるらしい。慣れた道を歩き、大きな門構えなのに控えめに設置されているインターホンを押すと直ぐ屋敷の中に通される。書斎のドアをノックすると「入れ」と返事があり、絨毯張りの部屋に入ると海馬は変わらず食い入るようにパソコンを睨みつけていた。
「海馬くん、ただいま」
「今回は随分早かったな」
「ボク、直ぐに帰ってくるって言ったぜー」
遊戯はデスクから少し離れたソファーに腰掛ける。仕事が一段落するのを待つつもりが、海馬は珍しく直ぐにノートパソコンの電源を落とし、蓋を閉じた。カリカリと音を立てていたハードディスクが鳴り止んで部屋は静寂に包まれる。
「遊戯、今後のことだがな……モクバからデュエルキングとして我が社とスポンサー契約することを打診された」
「ぇえ?!」
遊戯は鉄砲玉を食らったような表情をするが、海馬は続ける。
「契約するかどうかはお前が決めろ」
「でも、君はそれで――」
「オレもモクバの提案に異論はない。だが遊戯、お前は5年前の第1回KCグランプリ以降公式大会の記録がない――そこで契約したらどうなるかわかるだろう?」
遊戯は腕を組んでじっくり気持ちと状況を整理していく。
今後どうするかという答えは海馬に話題を振られる前に既に決まっていた。この童実野町を拠点とし、プロのデュエリストとして世界の大会を周り、賞金を稼ぐことだ。海馬とのデュエルは、心からこのゲームが楽しいと感じた。新しいカードに触れ、デッキの調節し終わった時の気持ちは心の底から望んでいた感覚だった。
デュエルモンスターズの世界で、スポンサーや賞金が出るようになったのはここ数年のことだ。結果、実力主義になった。遊戯がいくら決闘王の称号を手にしていてもデュエリストとしてブランクがある。その力は未だに健在だと示さねばならない……でなければ海馬コーポレーションの株を落とすどころか、海馬兄弟の顔に泥を塗ることになる。
「黙らせる大義名分が必要だ。約一ヶ月後、アメリカで海馬コーポレーション主催の大会がある。それで優勝すれば問題なかろう」
「うん、わかった」
「その口ぶりだと既に答えは決まっているようだな」
「まぁね……」
照れながら頷くことしか遊戯はできず、それを見て海馬は短く息を吐き出した。遊戯も海馬も、夕日が沈む海馬コーポレーションの屋上でのあのデュエルをもう一度、いや、何度でも体験したい……そう思っていることを感じていた。
「社と契約しなくとも安心しろ。モクバがお前のパドロンになりたいそうだからな。契約までモクバの世話になるといい。フフフ……」
「ええ?!モクバくんが?……でも……。でも、モクバくん、ボクより年下なのに……」
遊戯は寄りかかっていたソファから身を起こし、酷く落ち込んだ顔で言う。世界を旅せず大学を出て働けば……と思っても今更遅いし、なによりこの選択を後悔していない。5歳も年下の、しかも恋人の弟に世話になるなど、心底情けないと感じる。
「遊戯、オレの弟を見くびるな」
「そういう意味じゃなくて……」
「フン、お前の全財産より持っているわ!アイツは資産運用が得意で、その実力は俺をも凌ぐ」
「そうなんだ」
そう呟いてから大きくため息をつく遊戯を見て、海馬までついため息をつきそうになる。
「何か勘違いしているようだが、これは“お友達ごっこ”でも“同情”などではない。モクバは――お前を家族の一人として認めているのだ」
思い上がりでも遊戯はモクバを本当の弟のように感じる時は多かった。海馬とモクバは兄弟でも、モクバから海馬に甘えることは稀で、いつも兄弟で誓い合った夢の実現に向けて彼も一生懸命だった。海馬の代わりにならなくとも、何かあれば慰め、励ました。
<遊戯>が消えてしまった言葉にならない気持ちを、この兄弟にも同じ気持ちをさせた。それを許してもらおうとは思わない。遊戯が思っている以上に、モクバは空白の3年間を埋めたいのかもしれない……それをモクバが望んでいるのなら答えは一つしかない。
「うん。海馬くん……ごめんね」
鼻を啜りながら瞬きをしたら、遊戯の大きな瞳から涙が伝う。それを見た海馬は少し焦った面持ちで遊戯の隣へ腰掛ける。顔に掛かる金色の前髪を避け、親指と人差し指で優しく拭う。
「何故泣く」
「君にも、モクバくんにも……寂しい思いさせちゃったから」
「今から取り戻せばいい。我ら兄弟とお前は同じ未来に向かっているのだ」
心から温かい感情が溢れるのを、遊戯は感じる。言葉に例えられないそれは、ドクンと波打ち、また涙を溢れさせた。指では拭い切れないほどで海馬は何処からともなくティッシュペーパーを取り出し、遊戯の目元を優しく叩くように拭くと、頬に優しくキスをした。