童実野町にある海馬コーポレーション本社、最上階にある社長室。部屋の主は、天を仰ぎながらを仰ぎながらエアメールを見ていた。
差出人はご丁寧なことに宛先を自宅の海馬邸にしていて、普段は使用人が定期的に社に届けるか部下に渡していた。その為、下手したら数週間先まで海馬の元に来なかったかもしれない。人を信用しない海馬だが、強く当たり散らしても長く働いている部下もいる。名は磯野という。差出人と海馬の関係性をわかっていたからこそ、エアメールの重要性に気付き、言いつけた用事全てを放り出して社へ戻ってきた。転びそうになりながら社長室に入ってきた光景はモクバ共々目撃しており無様な姿だった。差出人を聞いた時の自分が一番無様だろうが。
戦いの儀を終え“もう一人の遊戯” “アテム” ……なんでもいい。海馬の好敵手だったヤツが冥界に旅立ち、早5年の年月が流れた。会社経営で卒業も危うかったが無事に単位も確保し、その後アメリカの大学に進学した。高校より融通が利くおかげで前より学校へ足を運ぶことはなく、一層仕事中心の生活になった。
一方、決闘王デュエルキングの武藤遊戯は放浪の旅に出たっきり音信不通だった。地元の大学へ進学することを本人から聞いていたが、入学から数ヶ月で退学していた。海馬はアメリカでの市場拡大を確実なものとするため、日本を留守にいていて、本社の業務はモクバに任せていた。遊戯とは電話とメールのやり取りが中心で、全く顔を合わせてなかった。当時を思い返すとメールすらしていなかった……気がする。連絡が途絶え気にはしていたのだが、事実を知ったのは遊戯が旅立ってから早半年が経過してからだった。
決闘王は海馬コーポレーションの“売り”だ。なにより、海馬が恋人を野放しにしておくわけがない。 追えば逃げるのは人間の心理だ。こそこそとネズミのように行動しているようで、イタチの追いかけっこのような状態が長く続いていた。諦めるつもりはないが。おかげで第二回バトルシティも開催できず、長期間開催延期になっている。
(だが、何故こんなものを……)
エアメールには「○月□□日 午前10時、ゲームスタート」とだけ記されていた。
エジプトから帰国して、遊戯の変貌ぶりが凄まじかった。遅刻は減ったし、苦手だった勉学に励み、成績は学年50位以内に食い込んできた。以前は下から数えた方が早かったというのに。ゲームの腕た交友関係は相変わらずだったが、デュエルを――辞めた。
デュエルモンスターズが嫌いになったわけはないから<遊戯>と共に作り上げたデッキは大事に持ち歩いていたし、海馬とも度々カードの話は何度もした。ただ、決してデュエルはしなかった。何故デュエルしないのか聞いたら
「今はデュエルする気が起きないんだよね。決闘王って言われるの、慣れないし……。称号はもう一人のボクが獲ったものだからかなぁ」
などと、濁された言葉を言われ、苛立って八つ当たりしてしまったこともあった。バトルシティでデュエルしていたのはもう一人の<遊戯>に違いない。その<遊戯>に勝っても腑に落ちないのか、不貞腐れたような……切なそうに笑っていた。
そう、ヤツの変貌振りは異常の域を超えていた。
カチ カチ カチ カチ…………
午前10時になる直前の数十秒は時計から目が離せなかった。秒針が12を過ぎて、長針も時計の頂点を指し示す……10時だ。途端――携帯電話のバイブレーションが机を揺らし、それは海馬の体にも伝わる。液晶ディスプレイに表示された「武藤遊戯」の文字に平常心を意識して通話ボタンを押した。
『おはよう、海馬くん。元気だった?』
「貴様!!この3年間、一体どこで何をやっていた!!」
『怒らないでよ。それより、エアメールはちゃんと見てくれたんだね。ありがとう』
「当然だ!」
記憶に刻まれた遊戯の声……海馬は心が昂る。探していた恋人の声色は冷静そのもので、もどかしささえ感じた。
高校時代の――忙しい合間でも会う機会があった時は喜怒哀楽がわかりやすく、少々とぼけた部分もあるが自分の真を持っていて、それが危なげに思える時もあって放っておけない奴だった。海馬コーポレーションがより大きく成長していくのと同じで、遊戯も多少なりとも変わるのは当然か。ただ、高校時代の遊戯を思い出すのは悪い癖だ。
『ボク、一時帰国したんだ。今日から1週間だけ童実野町にいる。ゲームはその間に僕とデュエルしたら海馬くんの勝ち』
その言葉の後に詳細が話されないことからデュエルの勝敗は関係ないようだ。
「ふぅん……。遊戯、お前のゲームに参加するのはいいとして、オレには何のメリットもないが?」
自己満足のゲームに付き合うほど海馬は暇ではない。遊戯からゲームを提案して、それに乗る以上、“海馬が望む何か”を賭けてもらわないと困る。負けられないゲームは海馬をますます昂ぶらせる。
『そうだね。君が勝ったら何でも言うことを聞く――どう?』
「いいだろう!一応聞いといてやろう。負けた時はどうなる?」
『それはまだ秘密!』
電話越しに聞き覚えのある電子音が流れる。
青眼の白龍ブルーアイズ・ホワイト・ドラゴンと海馬をイメージした楽曲で、特注品だ。著作権も海馬コーポレーションが所有している為、イベントで利用された時ぐらいしか耳にすることはないのだが……。海馬は本社前に取り付けられている音響式信号の曲はアレンジしたものが使われてた事を思い出し、椅子から立ち上がり、社長室から横断歩道を睨みつけた。
遠目で遊戯だとわかり「変わらないな」と、呟く。遊戯は社長室から見ているんだと気付き、電話を切らないまま手を振った。
「クク……随分と可愛らしい反応をしてくれるな、遊戯」
「もうーボクが手を振ったら変だっていうの?」
少し不貞腐れたような声……嗚呼、武藤遊戯だ。海馬の脳内を侵食し、虜にするあの声だ。遊戯の全てが愛おしい。 人間に執着して愚かと言われようと構わない。 再び遊戯をこの腕に閉じ込めたい。奪って、帰服させたい。心の底から湧き出た欲望が全身を駆け巡る。
直ぐに抱くのこともできるが、この調子ならば今日は何年間もおあずけにされていたモノを味わうことができるだろう。それからでも遅くはない。焦らせば焦らすほど、手にした時の高揚感は言葉にできないものになる。
「海馬くん?」
返答がなくて遊戯は不思議そうに名前を呼んだ。
「モクバに連絡しておく。先に屋敷に居ろ。オレも夜には戻る」
遊戯の返事を聞くことなく電話を切った。
ブチッと独特の通話終了の音が聞こえると、遊戯は緊張していた息をふっと吐き出す。海馬は手際が良いから、直ぐに仕事に取り掛かっていることだろう。だから折り返しの連絡はしない。「変わらないな」と言われても、人の意見を聞かないし、海馬も相変わらずだと思う。遊戯はゆっくりと海馬邸に向かってへ歩き出す。
この場所へ向かう時から感じていたが、何年間も留守にしていたから町は変わり、軽い観光気分だった。あったものはないし、いつ完成したのかわからない建物さえある。街路樹や歩道も綺麗に整備され、散歩に丁度良い。バトルシティが終わってから暫くは道ですれ違う人のほとんどが遊戯を指出して「決闘王だ」「武藤遊戯だ」と言っていたが、今はそんなことはない。自分が落ちぶれたのではなく、人も変わったのだろう。童実野町のはずなのに、童実野町じゃない――不思議な感覚だった。