01 不意に視線が絡まったのは、きっと、偶然

卒業試験も全て合格し、残りは卒業式というお飾りの式典しか残っていない。
そんな時期に呼び出されたテイトは、理事長室の前にいた。

扉を4回ノックして名乗れば、すぐに返答がくる。
「全て試験に合格したそうだな、卒業おめでとうテイト」
「ミロク様、ありがとうございます」
ミロクは野心に満ちた瞳を抑えたまま、深く頭を下げるテイトを見つめた。
「……卒業後すぐに、帝国軍参謀部直属部隊に所属してもらおうと思っている」
一か八かの賭けに近いこの行為。
テイトの表向きの身分を見れば誰もが、コネを使い階級を上ってきたと思うだろう。
真実を知れば、ある者は暗殺、もしくは所属する部隊その物を消そうと考えるかもしれない。
だが、想定される全てが老人と少年自身が企てたものならば、話は別となる。
「わかりました」
当然といえば当然、その了承にミロクはつい口元を歪める。
「ほう、意外な反応だな」
「そうでしょうか?……ミロク様のご指示のままに」
「書類はこのまま提出しておくが、構わないかね?」
「…………お言葉ですがミロク様」
一瞬、口を紡ぐが、すぐにテイトはバツが悪そうに続けた。
「よろしいのですか、“天使”のことを記載しなくて……」
「テイトが言い出すとは思っていなかったよ!――私もお前を軍の玩具にする気はなくてね」
「そうですか、わかりました。お願いします」
これで陸軍士官学校という場所で、ミロクと会話することは二度とないだろう。
一礼して、部屋を出ると、先ほどの機械的な肉声に自分自身でさえ吐き気がした。

お互いに、これ以上でもこれ以下でもない。
表向きは、主人と元奴隷、この関係が終わりを告げることはない。
だが、既に決着がついていることも、ミロクもテイトも理解しているのだ。
奴隷だったモノは、自身を切り札とし、栄光へと導く神だということに。
そして主人は、奴隷が自我を持てば、それを自分のことのように歓喜する。

かといってテイトが自分を神だとも、天使だとも思ったことは一度もない。
「本当にどっちが主人だか解らないな……」

呟きは、ほんの少しだけ空気を振動させた。

* * *

理事長室から校舎に戻る途中で、軍人独特の靴音に振り返る。
マントを翻す姿は、明らかに軍の幹部クラスの人物達。
顔立ちの特徴から、ミロクからよく話を聞いていたアヤナミ参謀部直属部隊ブラックホークだとすぐに解った。
絶対に視線が交わることはない、ただ一人を残して。
振り返っていたことが運のツキだといわんばかりに、テイトも相手へ視線を送ることになり。
サングラスの奥に微かに見える瞳が透き通っているのに一瞬見惚れてしまう。
今の状況を思い出して無意識のうちに目を逸らして、そのまま歩き始める。
だが、相手はまだこちらを見ているようで、その視線がむず痒い。

再び、靴音が聞こえ始めれば、視線は感じなくなっていた。

(かわいいなー、あの子……いや、テイト=クラインか♪)

「あれ……ヒュウガ少佐、随分機嫌良いですね……」
「そう?」

自分の上司のことだ、自分より先に目をつけていたと知ったら、またデスクワークが増える。
禁断症状を抑えて室内に篭るのも悪くない。

またあの翡翠の眼に映る自分に会えるのならば……。

 

お互いに卒業おめでとう、と声を掛け合えば、つい頬が緩む。
士官学校で得た宝物・親友のミカゲは嬉しそうに抱きついてきた。
「それよりテイト、お前、もう所属は決まってるのか?」
「ああ……参謀部直属部隊ブラックホーク、だそうだ」
「はぁ?!……」
だそうだ、という先程の発言を察したようで
「――――理事長も随分と大胆なこと言い出したなぁ」
困ったように片手で頭をかくミカゲが続ける。
「でも、お前は不満はないのかよ?」
「オレ自身に不満はないよ、ミカゲ……」

(ただ、お前と一緒にいられなくなるだけが気がかりで……)

などと言える筈もなく、口も閉ざした。
「周りはテイトのこと、在学中もいろいろ言ってたけど……お前だって人間なんだから、少しぐらい愚痴言えよな?」
子供扱いだと思っていた、頭を叩かれる行為も、今は自然に受け入れることが出来る。
数年前から姿を現せなくなってしまった彼。
その希望が消えたテイトにとって、ミカゲは永遠の光なのだ。

* * *

ホーブルグ要塞の一角、果てしなく長い廊下の先に目的の部屋はあった。
右足を踏み出そうとした瞬間、
「テイト=クライン、か……」
後ろから覗き込まれる感覚に、振り向きながら一瞬にしてザイフォンを放つ。
「おっと!……あっぶないな~!」
これは癖だ、戦闘用奴隷の頃から背後には気をつけろと言われていたから。
だが、ここは要塞の中。
もし、こんな場所に刺客がいたら、それはそれで問題だ。
「あ……も、申し訳ありません……!」
テイトは頭を深く下げる。
「いいのいいの、試すような真似したオレも悪いしね☆」
右手を優しく握られ、引かれる感覚。
姿は明らかに違うのに、ふいにミカゲと重なって瞬きをした。
「じゃ、いこっか!」
「え、あの……」
「オレは参謀部直属部隊ブラックホークのヒュウガだよ、階級は少佐。よろしくねテイトくん!」
(あ…………数日前に理事長室の前で!)
思わず瞳を見開くと、それに満足したようにヒュウガも微笑む。
「はい、よろしくお願いします……ヒュウガ少佐……」
自分がテイトを、どれだけテ待ち焦がれていたか、本人は知る由もないだろう。

長い廊下の先、部屋に挨拶をしながら入るヒュウガ。
「おっはよー!」
「ヒュウガ少佐、昨日の書類が残ってますよ!!!」
その途端の怒鳴り声に一瞬だけ、テイトは身を竦めるがすぐに平常心に戻す。
「まぁまぁ、コナツ……テイトくんも一緒なんだし、朝から起こらないでよ、ね?」
そして視線は一気にテイトに向く。
本来なら入室許可をもらい挨拶をするのに、士官学校理事長のミロクの顔にも泥を塗る行為にも繋がる。
「許可なく申し訳ありません!本日付けで参謀部直属部隊ブラックホーク所属となりましたテイト=クラインです。よろし…………?」
敬礼しようと思ったが、上手く上がらない右腕。
「あの、ヒュウガ少佐……右手を……」
上官なので罰が悪そうにテイトが言うと
「あ、ごめんね☆」
悪気がなさそうに謝られると同時に手が離れる。
何をそんなに嬉しいのかわからないが、笑みが崩すことはない。
「よろしくお願いします!」

虐げられようと貶されようと構わない、ここがスタートラインなのだ。
始まりが始まれば、止まることは絶対に赦されない。
此処こそが自分が望んだ場所なのだから。

 

挨拶と同時に静まり返った部屋。
この空気の流れを、今まで何度体験してきただろうか。

そんな雰囲気を察してか
「それよりさ、コナツー」
明るい声で自分の席に座るヒュウガは何処となく落ち着きがない。
「なんですか、ヒュウガ少佐……」
「昨日の分の書類、やるよ」
「えっ?」
その言葉に誰もが息を呑む。
自分からデスクワークするという日が来るなど、思ってもいなかったからだ。
「――その代わりテイト君、僕のベクライター候補として、研修させても良いよね?……アヤたん☆」
その声と同時に朝からデスクワークに追われている、帝国軍参謀長官・アヤナミがテイトの方に目をやった。
「ベグライター研修だけならば、カツラギ大佐の下の方がずっと任せられるがな」
「私としてはアヤナミ様のベクライターとなってもらえるのが望ましい限りです」

テイトは小さな会議となりつつあるその光景を見て思う。
(想像していた光景と違う……)
「テイト=クライン……だよね?何か会議みたいになっちゃってるからここにでも座っててね」
ソファーに誘導するコナツを見る限り、これは日常のようだった。
「配属初日がこんなんでごめんね、ヒュウガ少佐に何かされなかった?」
爽やかな笑顔、それと釣り合わない釘バットが視界に入り、テイトは大きく左右に首を振った。
「そう、ならいいけれど……僕はコナツ=ウォーレン。よろしく、テイト君」
差し出しだされた手を握りながら
「よろしく……お願いします」
テイトが少し小さい声で呟くと、コナツも笑った。

* * *

デスクに積み重ねられた書類と、散らばる印鑑。
ここで一生昇格して行きたい、とは思わない。
ブラックホーク本来の顔は別物、ヴァルスファイル――黒法術師部隊だとミロクに聞いていた。
本来は処刑されるべき者達だが、皇帝の気まぐれで飼っているだけだ、と。
裏を返せば所属出来るの者もヴァルスファイルに限られる。
“木の葉を隠すなら森の中”とも言うが、正体が暴かれればもっと危険になるのではないかとも思う。
テイトが直接、黒法術を扱うことも禁止されている。
それは自分自身が良く解っている、右手に宿りしミカエルの瞳のため。
ヴァルスの侵食が、一番恐ろしいからだ。

「テイトテイト、僕はクロユリ。一緒にお菓子食べようよ!」
自分より年下と思われる少年は、テイトに飴玉を渡す。
口に入れるとほのかな甘さが広がり
「美味しい……」
と思わず言葉を零す。
「私はクロユリ中佐のベクライター、ハルセと申します」

* * *

正直、テイトは動揺していた。
先ほどから永遠と続く、小会議。
それを横目に何事もなかったのかのように進むデスクワーク。
休憩時間など関係ない、お茶会。
(本当にここどうなってんだっ――――!!!)