落ち葉と雑草を踏むと時折べちゃりと湿った土が音をたてる。
昼間だというのに空から光は差し込まず、生い茂った木々が永遠と続く……。
結界のように人の行く手を阻む霧。
そんな森の中、ヴァンパイアハンター イザーク・ジュールはいた。
ヴァンパイアハンターというぐらいだから、吸血鬼以外の異生物を狩ることは滅多にない。
その日の食料の為に獣ぐらいはしょっちゅうだが……今回の目標は魔女だ。
依頼主が一体何処からそんな情報を手に入れたかは想像もつかない。
師から魔女狩りの方法は教わっているが、もし戦うならこれで実戦は2回目だ。――自信はない。
世間の依頼人たちがそんなことを溢していたと聞いたらなんと騒ぐだろうか!
依頼は取り消され“その日暮らし”に戻ってしまうに違いない。
辺りを見回すとこの一帯だけ森が開けている。
年輪をみると木の直径は40センチ以上ありそうだし、人が切って運ぶとなれば一苦労だ。
小川が流れていると思われる水音と、その証拠に少し先から煙りが上がっていた。
煙の元へたどり着くのにさほど時間は掛からなかった。
煉瓦造りで、お世辞にも広いとはいえない一般的な家だ。
後ろから足音が聞こえて、振り返り様、腰にさしてある剣を抜く。
足音が近づけは、その方向に人影が大きくなる。
霧の向こうから現れたのは小柄な女だった。
イザークが殺気を放って睨んでも相手は首を傾げるだけで、ふざけているのか逆に憤りさえ感じた。
格好を見て納得したのか女は優しく微笑む。
「こんにちは。ようこそ、深い森へ」
家に招かれた上に、無理矢理椅子に座らされたと思ったら目の前に紅茶が出てきた!
イザークは女の顔と紅茶を交互に見つめるが考えは読み取れない。
師から聞いていた魔女とあまりに違いすぎて、今まで経験したことのない異常事態に混乱する。
(こいつが魔女だとぉ…?街に出ても違和感ないな)
「僕の名前はキラ……キラ・ヤマトです。あなたは?」
「イザーク・ジュールだ」
「ジュール、さん……」
「いやイザークでいい。それに敬語もいらん」
「あぁ、うん!イザーク」
「率直に聞かせてもらう。お前は魔女か?」
「うん。僕がこの森に住む魔女。僕を訪ねてきたってことは、魔女狩りの人?」
「基本的に吸血鬼だがな」
「あぁ……。だから、紅茶を飲まなかったんだね」
職業を聞いて、キラはイザークに出された紅茶に視線を落とした。
自分の方に引き寄せてぐいっと一気に飲み干す。
「ね?確かに魔女は術も使うし薬も作る。けど、僕は毒なんて入れないから」
大胆な行動にイザークは目を丸くして言葉を失ったが、疲れたように息を吐く。
「イザーク?僕を狩っていかないの?」
「狩る気が失せた」
それは紛れもない本心だった。
先ほどから気になるのは、漂っている妙な気配だ。
まだ何も伝わってこないが確かに何かいる。
振り返るとキラしかいないのは当たり前で、部屋を一通りみても目新しいものはない。
やばり――背格好も街中で見かけても、人間そのものだ。
信用を求める魔女なんて聞いたことがない。
その上、行動で示すという点では謙虚(してる内容がやや違う気もする)なのだろう。
魔女と言った奴の方が不謹慎だとたこ殴りにされるほどに。
「そう……よければまた遊びに着て!今度は仕事じゃなくて、ね」
「気が向いたらな」
イザークが去った後、直ぐにそれは姿を現した。
キラを後ろから抱きしめるようにして急に黒い物体が現れたのだ!
だがその現象は“当たり前”の現象で、した者もされた者も何も思わない。
「アスラン!何時からいたの?」
「君が珍しい客とお茶を飲んでいる辺りから……かな?ヴァンパイアハンターとお茶するなんて……イザーク・ジュールは巷でも有名なんだぞ?」
声に込められた怒りがひしひしと伝わってきてキラは項垂れる。
「でもそんなに怖い人じゃなかったし」
そう言いながらハンカチでアスランの唇をそっと拭う。
「ご飯の後だったの?」
「まぁね」
拭った白いハンカチには派手な赤色の液体が染みこむ。
鉄独特の香りが鼻につくのですぐに血だとわかる。
アスラン・ザラは、その族の中でも高い位置にいる――純血のヴァンパイアだ。
両親共に長い歴史を持つ名家で同族の中で権力も力も強い。
キラがこの森に住み処を移すと同時にアスランも近くの廃墟を根城とした。
数日置きに1番近い街に食事をしに出かけてゆく。
「とにかく、もう危険なマネは止めてくれ!」
「うん」
しょぼんとしたキラの頭を撫でるとアスランは満足したらしい。
キラの瞳は揺れており、長い付き合いのアスランがその表情を見逃す訳もなく。
「君にはあの問題も残ってるんだ。……何なら俺が――」
「駄目!アスランにこれ以上迷惑かけられないし……僕にここまですることないよ」
いくらヴァンパイアと魔女が未だ友好的な関係とはいえ、アスランとキラは特殊だ。
ザラ家がただ権力が強いだけならまだいい。
幼なじみとはいえ同族じゃないというだけで壁が生まれる。
(こんなことなら、僕も……ヴァンパイアなんて贅沢言わないから、ただの人間に生まれたかったな)
キラは椅子に腰掛けると、窓から見える廃墟を見つめた。
キラの住み処に人が訪れたのは、それから数日後のことだった。
ノックが聞こえるとアスランかと思って扉を開けたらイザークで驚いた。
こんな森の中だ、口うるさいアスランの訪問でも嬉しくなるものだ。
ヴァンパイアの時点でアスランは玄関から入ってきたことなど無かったことを思い出す。
「いらっしゃい!まさか本当に来てくれるとは思ってなかった」
「約束は守る方だからな」
だがイザークは、信じられないほど動揺していた。
約束といえるほど交わした言葉は明確ではない。
律儀に守る義理もないのに……乱れた心を落ち着けるため、出された紅茶に口をつけた。
「ありがとう。紅茶飲んでくれて」
「だが俺とお茶会なんて楽しいのか?ハンターなんだぞ?」
「こんな場所だしね……特定の人以外と逢うなんて奇跡に近いんだ。職業なんて関係ないよ、純粋に嬉しいんだ。幼馴染はそうは思ってなかったけれどね」
「なら街に行けばいいだろう?」
「僕が魔女だってことで他の人を傷つけたくない」
「……悪かった」
「それに僕はどうしても血を絶やすわけにはいかないんだ。だから――」
血が絶えるということは、魔女にとっては打撃が大きい。
魔女が生んだ子供が必ずしも同じになるとは限らないからだ。
生まれた時点で性別が女ではないと魔女にはなれない。
そこから必死に力を磨いても超越した力――妖術を扱えるのは数パーセントも満たない。
妖術を扱えるようになっても、悪さを行うのは一握りというわけだ。
力が強くない者は小さな工房や占い師をして政経を立てる。
もしくは努力すらしない場合も多い。
「その様子だと、サバトも行ったことも無い様だな」
「!!……その、僕は好きじゃないから」
「俺も同感だ。何が楽しいか俺にはわからないな」
「イザークもそう思うの?」
「魔女や悪魔の考える事はわからん。だた、強い力を求め、子孫を残す為には仕方ないことなのかもしれないな。俺は力の為や子孫の為にそんなことはしたいとは思わないというだけだ」
キラは驚いた顔をしたが、すぐにクスクス笑い出す。
それがイザークは気に入らず、ティーカップをわざと音を立ててソーサーに戻した。
「へぇ。イザークって意外に家庭的なんだね」
「悪いか?」
「そんなことないよ!そういうの本当に素敵だよね」
やけに真面目に返されてしまって、イザークは怒れなかった。