ジョットが部屋に訪れてから一睡もできなかった。
日差しが昇る前、薄暗い部屋のベッドの中で夜を明かした。
退屈すぎて困ったが、これが今の自分にとって正しい生活なんじゃないかと思う。
戦いなどしたくない、誰かが傷つくなど考えたくもない。
(でも、昨日はオレの知らない誰かが……傷ついたんだ)
「ああー、もう!!どう顔、あわせればいいんだよ」
悲鳴に近い声を上げてもランボやリボーンがいない今、誰も返事はくれなかった。
気まずいと理解していても、綱吉はジョットの部屋に向かっていた。
ノックのマナーもあったはずだが回数など覚えておらず、適当に数回叩くとすぐに返事が返ってきた。
「ツナヨシか?」
自分が名乗る前に、言い当てられてびっくりする。
「入ってもいいぞ」
「はい、おはようございます……」
「ああ。おはよう」
何気ない会話、昨日と変わらぬ笑顔で迎えられる――それがこんなにも気持ち悪い。
まだケチをつけるなら、そもそもこの状況がおかしいのだ。
まさか、この時間軸で残りを過ごすのか――考えたくもない!一刻も早く家に帰りたい。骸に無事だと知らせたい!
友達も仲間も家庭教師も、この時代には存在せず助けはない。
昨日から超直感は何も告げず時間は過ぎていく。
コーヒーカップから口を遠ざけると、そっとテーブルのソーサーに戻す。
「眉間にシワができているぞ?そんなに超直感が働かないのが怖いか?」
「うっ!!」
声を押し殺しながら笑う姿を見ると馬鹿にされている気分だ。
この世界で出会った時からジョットは異常なほどに綱吉という存在を認めていた。
それはボンゴレⅠ世だからといって解決できる問題ではないし、タイムスリップなんて10年バズーカを知るまで存在すら否定していたのに。
「ツナヨシ。お前の考えていることはお見通しだ」
ソファーから立ち上がると、肩を抱いてきて――スキンシップにしては度が過ぎる。
「そろそろ腹の虫が鳴る頃だろう」
それを合図に綱吉の体から、低音が鳴る。
「よし、朝食にするぞ!」
「ええ、何で?!」
ジョットは、懐中時計で時間を確認すると扉を勢いよく開けた。
綱吉は朝食の間も何も聞けなかった。――否、聞いた時の反応が怖くて聞かなかったのだ。
昨日と同じソファー寄りかかると自然と欠伸がでた。
眠気を紛らわす為に机の紙を覗いてみても全く読めない。
朝食後ジョットはすぐに出かけたらしく、屋敷にはいなかった。
「君は永眠がご希望ですか?」
真上から声がして、上下運動していた頭がピタリと止まる。
「わ!!急に話しかけるの、てか、どっから入ってきたの?!」
「扉から入ってきましたよ。君の疎すぎるんですよ」
棘のある言葉を放つ相手はジョットの霧の守護者、D・スペードだった。
よく見ると、髪のフサ以外は髪の色も瞳も表情もあまり似ていない。
冗談か本気か取れない言葉をズカズカ言ってくるのはそっくりで、霧の守護者は皆こうなのかとおかしな錯覚を生みそうになる。
「そんなこと言われても……」
言葉を濁していると、
「ぷっ!」
デイモンが笑ったので、綱吉は奥歯を噛み締めた。
さほど関わりもない人間にこんな態度を取れるのは身内では骸ぐらいだろう。
(この人のこと、何か憎めないな)
「そういえば、ジョットさんなら――」
「彼が不在は承知していますよ。用事があるのは、ツナヨシでしたっけ?君に、です」
綱吉は見下ろしているデイモンを睨む。
相手には全く効果はなくて圧力だけが強くなる、嗚呼睨まなければよかった!
「どうやってジョットを誑かしたんですか?童顔なりに一夜と共にした、ということですか」
「はぁ?!」
間抜けな声をあげた綱吉だったが、意味をすぐに理解して顔を真っ赤にした。
そういうことを骸と何度かしたことがある。
14歳に対して、本当に大人気ない人だと思った。
「そのような可愛らしい仕草をしても、ジョットのようには騙されません」
「騙そうなんて思ってないです!」
「わかりました。コーヒータイムにでもしましょうか」
嫌味たっぷりな笑顔が浮かぶのと同時に、執務室だった部屋は一変していた。
ジョットにしろデイモンにしろ、コーヒーを飲む姿が優雅だ。
思い返すと部下を連れているときのディーノも何でもバッチリこなすカッコいい兄貴分だった。
(イタリア人って、こういう人ばっかりなのかな?)
綱吉は差し障りがない程度のため息の後、コーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れる。
こうして何分、何時間経ったのだろうか。
コーヒータイムというにはあまりにも空気が淀んでいる。
交わす言葉はなく、永遠とコーヒーを飲み続けるだけだ。
空になったカップをソーサーに戻すと、先にデイモンが口を開く。
「そろそろ白状する気になりましたか?」
「まだそんなこと考えてたんですか?!」
獄寺や山本に突っ込んでいた癖が出てしまう。
ボトボト……視線を相手から綱吉のコーヒーカップに移す。
大きな音を立てて、綱吉のカップに並々と砂糖が注がれたからだ。
「全く子供ですね」
デイモンのカップが腕で隠れたかと思うと、並々と注がれているコーヒーに目は釘付けになる。
「昨日から引っかかっていたのですが……貴方、イタリアの人間ではありませんね?」
会話があれば暇も潰れ、楽しくなるかと思ったが大間違いだ。
下手なことを言えば骸同様に変なツッコミが目に見えている。
質問されるとつい答えなきゃいけない、なんて義務感に襲われる。
「そうですけど、戻り方がわからないんです」
しぶしぶ答えた綱吉は頬を膨らませる。
「そこをジョットに助けてもらった、と」
「はい」
「なら、帰ればいいでしょう?」
視界から急にテーブルが消え去り、体が動かなくなる。
(やっぱりこれって幻覚だったんだ!)
「記憶喪失だか知りませんが都合のいい話ですね」
「ジョットは時折、予言するような発言も多々ありますが」と付け加えた。
超直感のことを言っているのだろう。
この時代の人間が、ボンゴレの血がない限り継承できないと知る由もない。
説明しても相手の良いように受け取られて――どちらにせよ相手のペースだ!
「スパイですか?生活にお困りですか?今なら……優しくしてあげないこともない」
リボーンが優しくと言ったから綱吉が全て白状したら殴られ蹴られた。
雲雀に正直にサボっていたと言ったら噛み殺されそうになった
優しくの意図が読めないが、今まで優しくと言われてそうされた記憶がない。
「オレはただの迷子なんですってば!」
デイモンが訪れた時から綱吉はすでに不利だったのだ。
幻覚を抜け出そうと、超死ぬ気モードになれば要らぬ誤解を生む。
流されるがままに事を受け入れれば自分の命が危ない。
「誰がそんなことを信じますか!迷子なら家に帰ったとジョットに伝えておきます」
デイモンの右手が、そっと綱吉の首をなぞる。
手をここまで持ってくれば何をされるか予想がつくが――怖い。
ぐっと首に絞められ、呼吸が出来ない。
声にならない叫びが綱吉の脳内だけに響いていた。
(苦しい!苦しい!!死んじゃう!!)
綱吉は思いっきりデイモンの腕を叩く。
ギブアップの意味を示しているが全く意味はない。
いっそのこと、呼吸困難で死亡した方がこの苦しさから逃げられるのではないか。
実際、空間を抜け出す術もなく、このままではただ殺されるだけだ。
抵抗を続ける綱吉に一瞬だけ魔が差した。
「む、ろ……」
名前になっていたのかはわからない、視界がぼやけて――次の瞬間、大きな音を立てて後頭部に激痛が走った。
「いってー!!」
本当に痛い、涙目になりながら両手で頭を押さえれば少しへこんでいる気がする。
触るとひりひりして、たんこぶができたのだろう。
脳が痛いと感じた途端は首を絞められるより拷問だった。
涙で遮られた視界で確認できる限り、ボンゴレの屋敷の一室に戻っていた。
「クフフフ……」
「む、むく、ろ」
地面で蹲りながら、涙目で頭を抱えている姿はなんとも侘しい光景だろう。
本来ならここでツッコミを入れる骸はデイモンの行く手を阻むように佇んでいた。
「人のモノに手を出すとは、相変わらずマフィアはすることが穢い」
先程とは違い、デイモンで神妙な面持ちで骸を見つめていた。
三叉槍で間合いを取る骸に対して、デイモンは嬉しそうに言う。
「やはり、只者ではないようだ」
床を三叉槍で軽く叩くと、今まで何度か見たことのある火柱が地面から吹き上げる。――が、瞬時に相殺される。
「貴方も幻術使いですか……。全く厄介だ」
渋い表情を浮かべる骸を見て、綱吉は唾を飲んだ。
デイモンが一気に間合いをつめようとすると、荒々しく扉が開く。
「待て!!」
額に炎を灯したジョットが、間に立ち塞がった。
「これ以上の争いは無意味だ。二人とも止めろ」
「折角の獲物なのに……理由を教えていただけませんか?」
声色からして、デイモンが不服なのが伝わってくる。
ぶつけた痛みからほんの少し解放されて、指で触ると腫れている。
血は出ていないらしく、よく怪我はするが命に関わる致命傷にならないのが嬉しいやらおかしいやら。
「まだその時ではないんだ。その時になったら……すまない」
今にも泣き出しそうな瞳を見て、視線を逸らす。
「ジョットさん……」
「ツナヨシも怖い思いをさせたな」
頭は下げないけれど、切なそうな表情を見て心から謝罪しているのが伝わってきた。
「そんなことで許されることだと思っているんですか!」
骸の怒りは収まらず矛先をジョットへと向ける。
ここまで怒る理由は、特殊兵器開発の被験者になった過去があるからだろう。
形は違えど、逆らえない立場と襲われる恐怖に変わりない。
「そう思うなら――」
今にも三叉槍を振り回しそうだった骸が跪き、綱吉が急いで近づく。
「骸!!早く実体化を解け!」
触れた手は想像以上に冷くてぎゅっと手を握った。
手を握ったからといってエネルギーを別けれるわけでもなく、ただ励ますことしかできない。
「君が思っているよりここは入り組んでいた……。今戻るわけにはいかないんです」
「そんな!ジョットさん、何とかできないんですか?!」
「デイモン、お前の幻術は特殊だ。お前にしかできない」
「つい先程まで殺そうとしていた者を、助けろと?」
デイモンが先に仕掛けてきたというのに身勝手すぎる……ジョットが最善と思ったことだ、本当なのだろう。
「デイモンさん、お願いします!!出来ることなら何でもします、お願いします!」
綱吉は頭を下げた。
ベッドに横たわり、規則正しい呼吸をする骸に安心した。
「ジョットさん、デイモンさん、ありがとうございました」
綱吉はかすれた声でお礼言いながら、また頭を下げる。
デイモンが処置する間はただ見ていることしか出来ないことが歯がゆくて――涙を流す姿を見てジョットが肩を抱いてくれたおかげで落ち着いた。
他の男に肩を抱かれて落ち着くなど骸に対して失礼だ。
緊急事態というものにつくづく弱い。
「今回だけです。次はありません」
デイモンは早口かつ早足で部屋から出て行く。
扉を閉めた音があまりにも大きくてびっくりしたが、眠ったばかりの骸が起きずよかった。
「お前の霧の守護者が無事でよかった」
「ジョットさん、知ってたんですか……」
「ああ」
珍しく歯切れの悪い返事を返される。
それ以上問い詰めることもできず、骸の容態も心配で綱吉は黙った。
骸が目を覚ましたのはそれから半日以上経ってからだった。
ジョットは尽きっきりで面倒を見る綱吉を休むように促したが断った。
「……」
「骸!大丈夫か?!」
薄っすら開いた瞳に気づいた綱吉は、うとうとしていた眠気が吹っ飛ぶ。
顔を覗き込むと、微笑んでくれる姿が嬉しかった。
「ええ――ぐぁ!!」
「ぐっ!!」
涙目に、いや涙を流しながらお互いの顔を見る。
急に上半身を起こした骸と綱吉の顔面が激突したのだ。
綱吉は打ち所が悪かったらしく、眼の上の辺りを押さえながら、ベッドに脇で丸まっていた。
「ええ、大丈夫でしたが、今ので大丈夫じゃなくなりました」
「それは、オレの方だろ」
痛みが引かないので言葉が途切れる。
(こういう時は気にしなければ痛くない!きっとそうだ!)
震えながら抑えていた手を放し、平常心を保つために骸を見た。
「赤くなってますね」
心配そうに、腫れ上がっているであろう部分を見ながら骸が言う。
すぐ痛みに負けて綱吉は手で再び押さえた。
「手遅れにならないうちに話しておきますか」
静かに話し出す骸をみると、痛みが引いたらしく落ち着いてきた。
ぶつけた場所は赤くなったままで気を抜けば笑ってしまいそうだった。
「手遅れって?」
「このタイムトラベルは――ただ過去に飛んできたわけじゃないんです。10年バズーカと僕の幻術、そして綱吉くんに流れる血が作り出した既に過ぎ去った時間です。君は無意識とはいえ、既にここと同調を始めています。下手したら二度と戻れません」
(入り組んでいたって、そういう意味だったんだ……)
だが、綱吉はどうやって戻るかの方法は知らない。
ぎゅっと握りこぶしを作ると骸が頭を撫でた。